Coffee Break
硬さについて

首題を見て、これは堅苦しい話だなと避けないで、ぜひご一読ください。
手元に婦人向けの雑誌があり、その裏表紙にドイツの有名刃物メーカー製造の包丁の広告が掲載されています。ブランド品なのでしょうね、通販などで販売されている同種の2倍〜2.5倍の価格です。“売り”は何でしょうか。これが硬さなのです。
HRC67と謳ってあります。金属関係のお仕事に従事されておられる方にとってHRCは一番耳にされる、硬さを代表するものでしょう。他に筆者のお馴染みのHV、鉄骨とか構造物関係のHBとか硬さを表現する規格は数多くあります。
詳細は関連資料に目を通していただくとして、冒頭の広告中のHRC67はかなりの数値なんです、これが。“刃物の話し”という本の中で著者が日本刀を切断(国宝級のものではない、消耗品級のもの)し、刃金部分の断面硬さを前述のHV(ビッカース硬度)で測定したものを掲載してあります。刃部でHV606〜610程度、大胆にHRC換算しますと55.6〜56に達するかどうかといったところです。
その程度なんですか?と疑問を持たれますね。同時に組成の分析表も添付されており,C0.45〜0.5%でした。不純物も結構多い。C%からこの硬さ数値は妥当なものです。この硬さ、換言すればこの硬さに必要なC%は偶然の産物なのか?江戸期以前の刀は実用品ですから、同様の硬さや切れ味の刀、鑓あるいは甲冑に食い込む場面もあったはずです。問題のある刀は二つに折れて吹き飛んだかもしれません。そうなると持ち主は生き残れない。生き残った者は無事な刀を見て納得したでしょう。折れずよく切れればよし。製作した刀鍛冶は口コミであの者は名人じゃと喧伝されたそうです。本当の話です。閑話休題。日本刀の硬さは別にして、同種の包丁はどうなのでしょうか。日本で錆びないステンレスの包丁が登場した頃の硬さはHRC54くらいだったらしい。これではいくら何でも刃持ちが悪い。要するにすぐ研がなければならないということです。材料の改善により、現在はHRC58が平均的なところとのこと。それでもドイツの包丁とはHRCで10近い差です。何でそんなに硬さがいるの?おそらく刃持ちの永さ、刃を研がなくても長期間台所で使えます、これが狙いでしょう。鋭い刃先を安定して維持できるのは立派なことです。ではプロも使えば?プロの包丁は素材からして砥石との相性を考慮してあるほどです。切れなくなって砥石に向かうのは素人だと聞いたことがありますし、素材はC%が低いものでも0.8%以上ですから焼き入れ硬さは上述のドイツの包丁の硬さに劣りません。それより何よりおそらく、硬さと切れ味とは別物と解釈さ れているのではないでしょうか。現在の技術なら被覆処理で表面硬さはダイヤモンドに近いものまで得られますが、包丁にそこまで硬さは必要ないはずです。
金属組織の緻密さとか均一性が切れ味に寄与していると想像されます。当然、砥石のかかりも優れています。最後に一言。最近の台所では砥石を見かけませんね。上述の戦国武者は腰から砥石を提げていたそうです。刃物と砥石は昔からお神酒徳利の関係なんです。

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